篤姫参拝の若宮神社で令和の御朱印。
鹿児島の御朱印ボーイです。
今日は鹿児島市の上町地区に鎮座する、
若宮(わかみや)神社に参拝しています。
若宮神社でも、
すでに御朱印は頂いていますが、
令和の御朱印はまだなのです。
上町五社詣りの若宮神社。
若宮神社の住所は、
鹿児島市池之上町ですが、
ここは藩政時代の中心地です。
周辺は上町(かんまち)と呼ばれ、
上町地区を守護する五つの神社は、
藩主・島津氏の尊崇が厚かったのです。
その五社にお参りする、
上町五社詣りは当時は賑わっていました。
若宮神社はその一社になるのです。
若宮神社は上町五社詣りの一社。
令和の御朱印を頂きます。
若宮神社には、
五社詣りをかねた初詣で、
今までに何度かお参りしています。
その度に、
御朱印を頂いています。
それらは平成の年号の御朱印です。
今年(令和元年)になって、
令和年号の入った御朱印を、
頂きたくて参拝したというわけです。
令和の御朱印を頂きたくて参拝しました。
島津家の崇敬厚い若宮神社。
早速、
若宮神社の拝殿にて参拝しました。
若宮神社は、
島津家の守護神として、
崇敬の厚かったといわれます。
代々家督を相続するときは、
藩主が必ず報告して、
お祭りも行われていたそうです。
島津家の崇敬厚い若宮神社で参拝です。
令和の御朱印を頂きました。
参拝も済ませましたので、
さっそく御朱印を頂くことにします。
社務所に御朱印帳を預けました。
しばらく待つと、
頂くことができました。
300円を納めました。
鹿児島若宮神社の御朱印です。
令和になってから、
初めての御朱印を頂きました。
若宮神社で頂いた令和の御朱印。
篤姫も参拝したでしょうね。
実は、若宮神社で参拝する時に、
私はいつも思うことがあります。
この近くに、
今和泉島津家の屋敷があったのです。
あの篤姫(あつひめ)が生まれました。
島津家子女であった、
篤姫も近くの若宮神社に
参拝したのではと思っています。
スポンサーリンク
藩政時代を偲ばせます。
若宮神社の近くは、
藩政時代の中心地でしたので、
当時を偲ばせるものが残っています。
篤姫が生まれた、
今和泉島津家の屋敷跡もその一つ。
また屋敷横には、
島津氏がそれまでの山城から移り、
平地に作った内城の跡もあります。
バス停には鹿児島城下地図があります。
今和泉島津家の跡です。
今和泉島津家の跡にも寄りました。
現在は屋敷は残っていませんが、
当時を偲ばせる石垣が残っています。
今和泉島津家の石垣が残っています。
篤姫は島津斉彬の養女として、
第13代将軍の徳川家定の、
御台所(みだいどころ)に輿入れします。
まさに薩摩島津家から、
鹿児島のファーストレディの誕生です。
今和泉島津家本邸跡の案内板です。
家定亡き後、
天璋院篤姫として、
幕末期の徳川家を支えます。
あの江戸城無血開城でも、
西郷隆盛に働きかけ尽力します。
篤姫像は鶴丸城跡にあります。
今和泉家屋敷の横には内城の跡。
今和泉家の横には、
島津氏の内城の跡があります。
島津貴久はそれまでの居城であった、
伊集院の一宇治城(山城)から、
平地の内城に移ってきます。
その後に、城山の麓に、
鶴丸城が築かれるまで、
この内城が居城となります。
鶴丸城が築かれた後は廃城となり、
その跡地には大龍寺が建てられます。
現在は大龍小学校の、
敷地になっていますが、
校門の横に石碑がありますよ。
大龍小学校にある大龍寺跡の石碑。
若宮神社の後に立ち寄りましょう。
若宮神社で御朱印を頂きましたが、
篤姫も参拝したと思われることから、
屋敷跡に行ってみました。
もし若宮神社に参拝する、
機会がありましたら、
せっかくですので、近くを、
散策してはどうでしょうか。
また若宮神社については、
今までの記事も見て下さいね。
鹿児島若宮神社
鹿児島市池ノ上町7-30
電話 099-248-2789
市電 鹿児島駅前電停から徒歩12分
ツイート
スポンサーリンク
スポンサーリンク
鹿児島市内の神社で頂きました。
鹿児島市内のお寺で頂きました。
鹿児島県内の神社で頂きました。
鹿児島県内のお寺で頂きました。
鹿児島のまち歩き
鹿児島市のまち案内と観光ガイドです。