御朱印の前に田原坂を見てきました。
御朱印の前に田原坂に行ってきました。
熊本で行ってみたい場所、それは田原坂
御朱印を頂く前に散策しました。
郷土(鹿児島)の偉人・西郷どんが、
西南戦争で戦った古戦場の、
田原坂に行ってみたかったのです。
田原坂の場所は。
鹿児島市からは、
九州縦貫道を北に進みました。
植木インターで降りると10分程で着きます。
のどかな田園風景を進むと、
やがて大きな看板があります。
田原坂公園の入口です。
田原坂公園の大きな看板が目印です。
こんなのどかな場所が、
日本最大の内戦、西南戦争の、
激戦地になったのですね。
坂の頂上が田原坂公園。
田原坂周辺は丘陵地になっていて、
その一番高い場所は、
田原坂公園として整備されています。
頂上一帯は田原坂公園になっています。
駐車場の一角には、
大きな案内板が建っています。
田原坂の説明を読みました。
田原坂の大きな案内板があります。
田原坂西南戦争資料館があります。
看板の先には、
田原坂西南戦争資料館があり、
西南戦争の様々な史料が展示されています。
資料館の前には、
西南戦争戦災の土蔵が建っています。
土蔵の壁には弾痕が残っています。
弾痕が残った土蔵が建っています。
田原坂の様子を知りたくて、
田原坂戦争資料館に入りました。
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田原坂戦争資料館の中
大砲が展示されています。
資料館の中には、
田原坂の戦いで実際に使われた、
大砲が展示されています。
実際に使われた大砲です。
政府軍の大砲を、
熊本に持ち込める唯一の道が、
この田原坂だったわけです。
そのために、
この田原坂を巡って、
両軍の激しい戦いが続いたのです。
戦闘服や銃なども展示されています。
士族達の政府に対する反乱でした。
西南戦争は、
西郷隆盛が率いる、
士族達の政府に対する反乱でした。
西南戦争の経過が説明されています。
日本各地で起こった、
士族の反乱で最大のものでした。
そのために、
薩摩軍には刀を持って、
戦ったものも多かったのです。
薩摩軍は刀でも戦いました。
クマモンや美少年剣士も活躍
薩摩にとっては、
盟友の西郷隆盛と大久保利通が、
戦った最大の悲劇でした。
鹿児島県人として、
展示されている中には、
少し抵抗があったものがありました。
それは熊本の人気者・クマモンです。
薩摩軍と政府軍のクマモンは、
どうなんでしょうね。
やっぱり、いましたクマモンが。
それにカッコいい、
美少年剣士達です。
美少年剣士と一緒に撮影ができます。
でも抵抗はありましたが、
田原坂に関心をもってくれる人が、
増えれば、良いのかも知れませんね。
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実際の田原坂を見てきました。
資料館を見た後は、
実際の田原坂を見てきました。
田原坂、一の坂には駐車場があります。
田原坂って、
三つの坂があったのですね。
それぞれの坂についての説明板です。
三つの坂の説明板がありました。
三つの坂には、それぞれの坂に、
鉄板で出来た看板がありました。
それぞれの坂にある鉄板の看板です。
今では何も変哲もない坂道です。
この坂道をめぐって、
激しい戦いが続いたのですね。
この坂道を巡って両軍が戦いました。
西南戦争の激戦地であった、
田原坂の坂道に立って、
当時の戦いに思いをはせました。
この田原坂が西南戦争の激戦地でした。
田原坂の次は御朱印です。
田原坂の後は、
今回の熊本行きの目的の、
いよいよ御朱印めぐりです。
次に向かったのは、
宮本武蔵のゆかりのお寺、
雲厳禅寺(うんがんぜんじ)です。
雲厳禅寺の霊厳洞に行きました。
岩戸観音(いわとかんのん)の、
霊厳洞がある曹洞宗のお寺です。
丸い朱印の御朱印を頂きました。
田原坂西南戦争資料館
熊本市北区植木町豊岡858番地1
電話 096-272-4982
開館時間 9:00〜17:00
休館日 12月29日から翌1月3日まで
入館料 300円(高校生以上)
駐車場 220台(無料)
アクセス 九州自動車道植木ICより車で約15分
熊本市内中心部より車で約45分
JR鹿児島本線田原坂駅下車 徒歩約30分
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