【御朱印ブログ】御朱印巡りで分かった妙円寺詣りの謎。

【御朱印ブログ】妙円寺詣りの謎。

 

鹿児島には、
妙円寺詣りという行事があります。

 

薩摩の戦国武将である、
島津義弘公をしのび、
徳重神社に歩いて参拝します。

 

でも妙円寺詣りなのに、
お寺ではなくて神社に参拝する謎を、
ブログ風に解説しますね。

 

 

 

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徳重神社で御朱印を頂く。

 

先日、この徳重神社を、
参拝してみました。

 

 

妙円寺詣りは薩摩の伝統行事。

 

 

妙円寺詣りが行われる、
徳重神社の様子を、
見ておきたかったのです。

 

 

徳重神社に参拝してきました。

 

 

もちろん、一番の理由は、
御朱印を頂くことでしたけど。

 

 

徳重神社の御朱印も頂きましたよ。

 

 

驚きの文字を発見したのです。

 

徳重神社の帰り道に、
妙円寺」と書いた、
小さな道案内を見かけました。

 

それを見て少し驚きました。

 

なぜかと言うと、
妙円寺はすでに廃寺になっていると、
思っていたからです。

 

 

妙円寺の案内を見つけました。

 

 

なんと妙円寺があったのです。

 

道を進むと、なんと、
実際に妙円寺があったのです。

 

 

無いと思っていた妙円寺がありました。

 

 

寺の由緒書きには、
島津義弘公の菩提寺で、
義弘公のご位牌も安置されています。

 

もちろん御朱印もありました。
しっかり頂きましたよ。

 

 

妙円寺の御朱印も頂きました。

 

 

妙円寺があるのに徳重神社にお参りする謎。

 

私は妙円寺詣りが、
徳重神社に参るのは、
すでに妙円寺が無いからだと、
今まで思っていました。

 

でも実際に妙円寺があるのに、
徳重神社に参るのは、
なんとも不思議な話ですよね。

 

廃仏毀釈があったのです。

 

これは、あの、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が、
原因なのです。

 

明治初期に起こった、
廃仏毀釈で多くの寺が壊され
廃寺に追い込まれます。

 

 

各地に廃仏毀釈の傷跡があります。

 

 

妙円寺も焼かれて、
廃寺になりました。

 

義弘公の位牌を、
持ち出すのがやっとだったそうです。

 

 

 

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跡地に徳重神社が建つ。

 

妙円寺の跡地に、
建てられたのが徳重神社です。

 

同じく島津義弘公を、
ご祭神として祀ります。

 

そして妙円寺詣りは、
引き続き徳重神社に、
お参りすることになりました。

 

その後、明治7年に妙円寺は、
再興されましたが、未だに、
徳重神社詣り」が続いています。

 

 

妙円寺詣りは徳重神社に参拝します。

 

 

妙円寺詣りは盛大な祭りになりました。

 

現在の妙円寺詣りは、
盛大に行われます。

 

相撲や弓の奉納試合があり、
郷土芸能や武者行列と、
盛り沢山になっています。

 

しかし多くの参拝者は、
妙円寺があることを知っているのでしょうか。

 

 

武者行列もあって賑やかです。

 

 

妙円寺にも参ってほしいですね。

 

妙円寺詣りに参加した後にでも、
義弘公の菩提寺にも、
ぜひ参ってほしいと思いました。

 

お祭りだけを楽しんで、
妙円寺に参らないのであれば、

 

本来の義弘公をしのぶ、
妙円寺詣りには、
ならないと思うのです。

 

 

本体の妙円寺にも参ってほしいです。

 

 

御朱印めぐりをしていると。

 

御朱印めぐりをしていると、
神社やお寺の歴史などに、
触れることがあります。

 

今回の妙円寺詣りの、
謎もその一つです。

 

御朱印を頂くことも楽しいのですが、
このような歴史を知る事もあります。

 

しばらくは御朱印巡りが、
辞められそうにないですよね。

 

 

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鹿児島市内の神社で頂きました。

鹿児島市内の神社の御朱印。

鹿児島市内のお寺で頂きました。

鹿児島市内のお寺の御朱印。

鹿児島県内の神社で頂きました。

鹿児島県内の神社の御朱印。

鹿児島県内のお寺で頂きました。

鹿児島県内のお寺の御朱印。

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