島津義弘公の菩提寺・妙円寺の御朱印。
法智山妙円寺で御朱印を頂いてきました。
今日の御朱印ボーイが行ったのは、
鹿児島県日置市伊集院町にある、
法智山妙円寺(ほうちざんみょうえんじ)
島津義弘公の菩提寺でもあります。
もちろん御朱印も頂いてきましたよ。
伊集院で有名なのが「妙円寺詣り」
この「妙円寺詣り」は、
鹿児島県の三大行事の一つです。
鹿児島市内から、
伊集院の徳重神社までを、
歩いて参拝する伝統行事です。
この距離は20キロもあるのですよ、
この道のりを子供から大人まで、
妙円寺詣りの歌を歌って歩くのです。
こんなきつい事をするのは、
島津義弘公(しまづよしひろこう)の
苦労をしのぶ祭りだからです。
島津義弘公は武勇の誉高い武将。
関ヶ原の戦いで敗走の折に、
敵前を突破した、
「島津の退(の)き口」は特に有名です。
この関ヶ原での勇気をたたえ、
敗走の苦労をしのぶために歩くのですよ。
子供達の教育の一つとして、
行われる盛んな祭りなのです。
妙円寺詣りでは多くの方が集まります。
徳重神社の御朱印が目的でした。
私が徳重神社に行ったのは、
幼少の頃でしたので、
神社の様子の記憶がありません。
そこで、徳重神社を確かめる事と、
合わせて御朱印をいただくためでした。
(ホントは御朱印です。)
徳重神社の本殿です。
でも徳重神社の
宮司さんがお出かけでしたので、
御朱印をいただくことができませんでした。
妙円寺詣りの発祥の妙円寺。
神社のそばでふと目に入ったのが、
「妙円寺はこちら」という看板でした。
「え、妙円寺ってあったの」
と驚きながら進むと、
妙円寺は歩いてすぐの所にありました。
妙円寺は、
曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺で、
法智山 妙円寺
ほうちざんみょうえんじと呼ばれます。
妙円寺の看板がありました。
妙円寺は歴史のあるお寺。
お寺の由来書によりますと、
妙円寺は約600年前に、
石屋禅師という方が作ったお寺です。
後に藩主の島津義弘公が、
石屋禅師の教えを尊敬して、
自分の菩提寺と決めました。
妙円寺は、もともと現在の、
徳重神社の場所にありました。
それが明治の、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、
焼き払われました。
その後、現在の、
妙円寺の場所に復興したそうです。
妙円寺は復興しました。
島津義弘公の位牌(いはい)。
廃仏毀釈の難を逃れた、
島津義弘公の、
位牌が安置されていました。
島津義弘公の位牌がありました。
私も拝ませていただきましたが、
あの義弘公の位牌と、
思うと感動です。
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妙円寺は丸い形の御朱印でした。
早速、本堂にてお詣りしました。
ご住職に御朱印のお願いをしましたが、
快く受けていただきました。
珍しい丸い形の御朱印でした。
霊場札所の印もありました。
妙円寺の御朱印は丸かった。
薬師霊場の札所でもありました。
ここ妙円寺は、
九州四十九院薬師霊場の、
第26番の札所でもあったのです。
またまた、
新しい霊場札所に巡り合いました。
これから残り四十八も、
九州に御朱印があるのかと思うと、
何だかワクワクしてきましたよ。
九州四十九院薬師の霊場でもあります。
本来の妙円寺になぜお詣りしない。
私は、妙円寺は、
明治の廃仏毀釈で、
廃寺になったとばかり思っていました。
妙円寺をしのんで、
その跡地にできた徳重神社に、
妙円寺詣りをすると思っていました。
でも、なぜ本来の島津義弘公の、
菩提寺であった妙円寺には、
なぜお詣りしないのでしょうね。
義弘公はこのことを、
どう思っているのでしょうか。
私は不思議でなりません。
妙円寺詣り発祥の妙円寺。
妙円寺にもお参りをしましょう。
妙円寺の境内が狭いので、
武道等の奉納行事は出来ないことも、
考えられますけど。
それなら奉納行事は徳重神社で、
お詣りは妙円寺で、
なんてどうでしょうかね。
もし、あなたが妙円寺詣りで、
徳重神社に来られたら、
妙円寺詣り発祥の、
寺である妙円寺にも、
ぜひお詣りすることをお勧めします。
法智山 妙円寺
鹿児島県日置市伊集院町徳重521
電話 099−272−2441
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