慈光院は様々な波乱を経験しました。

慈光院には様々な波乱。

 

慈光院(じこういん)は、
築地本願寺が、
建立した築地本願寺の分院です。

 

慈光院の場所は、
JR両国駅から徒歩10分程です。

 

東京都の、
墨田区横綱1丁目にあるお寺です。

 

 

 

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慈光院は、本所被服廠の跡。

 

慈光院の建っている場所は、
もともと旧陸軍の、
本所被服廠
ほんじょひふくしょう
があった所。

 

被服廠(ひふくしょう)とは、
軍服等の工場のことです。

 

大正12年の、
関東大震災が発生した時に、
本所被服廠に火災旋風が起こり、
約3万8千人の焼死者を出したのです。

 

 

関東大震災の火災旋風が起こりました。

 

 

震災の被災者の心のよりどころ。

 

震災後すぐに築地本願寺が、
人々の救護に取り掛かりました。

 

被災者のための救護所や、
託児所などが作られたのです。

 

そして、焼死した方々を、
追悼する場所となりました。

 

また残された方の、
心のよりどころとしての、
説教所が設置されたのです。

 

 

被災者の心のよりどころとなりました。

 

 

説教所が慈光院の本堂。

 

その説教所は、
その後に慈光院の、
本堂として新築されました。

 

本堂が出来てからも地域人々に、
精神的な安らぎを与える場所として、
大事にされているのです。

 

いわば、慈光院は、
関東大震災を記念して、
つくられた分院と言えるでしょう。

 

慈光院は大災害を乗り越えた。

 

昭和20年の東京大空襲では、
この地区一帯に、
アメリカ軍の焼夷弾が落とされました。

 

慈光院のまわりは、
火の海となりましたが。

 

慈光院では地元の人々や、
消防団員が懸命の、
消火活動を行いました。

 

そのおかげで、
なんとか、
消失だけは免れたのです。

 

慈光院は、
関東大震災と、
東京大空襲という、
大きな災害を始め、
様々な波乱を経験してきました。

 

しかし、その都度に、信徒や、
地元の方の献身的な努力によって、
それらを乗り越えてきたのです。

 

 

様々な苦難を乗り越えてきました。

 

 

本堂の改修や境内の整備。

 

そして、昭和53年に、
本堂建立50周年に合わせて、
本堂の改修や境内の、
整備が行われました。

 

この改修にも、
慈光院の信徒の方をはじめ、
地元の多くの方々が支援されました。

 

さらに今後も、
築地本願寺の分院 慈光院は、
仏教伝道の道場として、
歩み続けていくことでしょう。

 

 

慈光院(じこういん)
東京都墨田区横網1丁目7−2
電話 03−3622−3011

 

 

 

 

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