狭野神社は霧島六権現社の一社、御朱印も素敵です。
狭野神社の御朱印をいただきました。
霧島東神社で参拝した後は、
同じく霧島六権現社(ろくごんげんしゃ)の、
一社である狭野神社に向かいます。
狭野神社は、
南参道からの長い参道と、
素敵な御朱印が魅力の神社です。
霧島六権現社の流れをくむ、
神徳(しんとく)神社の、
仁王像もありますよ。
霧島山の麓に鎮座します。
狭野神社は、
霧島山の宮崎県側の麓にあります。
私が車を止めるのは、
いつも南参道の近くの駐車場です。
それには訳があるのですよ。
狭野神社の鳥居があるから、
ではないんですよ。
南参道からお進みくださいね。
霊気の流れる南参道。
その理由は、
この長い南参道があるからなんですよ。
直線の参道では日本で一番といわれます。
それよりも、
この参道を歩くと心が清められ、
スピリチュアルな風を感じるからです。
南参道は日本一い参道で霊気が流れます。
霊気が流れる、
この参道を歩くのが好きなのです。
あなたもこの霊気を感じてみませんか。
神門には菊の紋があります。
参道の突き当りに、
大きな門があります。
これは神門と呼ばれます。
門の中央に狭野神社の神紋です。
これは天皇家の菊紋です。
初代天皇の神武天皇を祀るからです。
狭野神社の神紋は菊のご紋です。
神門の向こうは神の領域。
足を踏み入れると、
より深い神聖な雰囲気です。
大きな杉は狭野杉と呼ばれます。
狭野神社の拝殿前にあるのは、
狭野杉と呼ばれる国の天然記念物の杉
この杉は狭野神社が以前に、
神仏習合だった時の名残です。
狭野杉は神仏習合の名残なのです。
看板の由来によりますと、
慶長4年に薩摩藩主の島津義弘公が、
重臣の新納(にいろ)武蔵守忠元を遣わし
当神社の別当院である神徳院の住職の、
宥淳法印(ゆうじゅんほういん)と
協力して植栽せるものと云う、とあります。
昔、狭野神社の別当院の神徳院が協力して植栽しました。
別当院(べっとういん)とは、
神仏習合で、神社を管理するお寺です。
慶長4年に狭野神社の別当院である、
神徳院があったことが伺えますね。
スポンサーリンク
狭野神社の拝殿に参拝しました。
狭野神社の境内には、
最初の見えるのが外拝殿です。
かなり大きな建物ですね。
これは外拝殿です、ここから参拝します。
ここで参拝します。
二例二拍手で参拝しました。
こちらが拝殿です。ここに向かって拝みます。
こちらが狭野神社の拝殿です。
狭野神社の主祭神は神武天皇。
天皇家の初代天皇です。
狭野神社の御朱印です。
いろんな御朱印がありますね。
狭野神社の御朱印は、
様々な形が用意されています、
でもすべて書置きになります。
外拝殿に御朱印の見本があります。
別の授与所で頂きました。
御朱印代は一枚600円を納めました。
私が選んだ狭野神社の御朱印です。
スポンサーリンク
狭野神社の仁王様があります。
南参道の入口付近に、
仁王様が二体、いらしゃいます。
これは神仏習合の名残です。
仁王様の解説板です。
これは昔、狭野神社の別当院であった、
神徳院の守護神として建立されました。
今でも狭野神社をお守りしています。
神徳院の仁王像です。
神徳神社が再建されました。
神徳院のような、
別当院である神社のお寺は、
霧島に点在する六権現にありました。
明治元年になりますと、
明治政府の神仏分離令で、
神徳院は廃寺になりました。
神徳神社の御縁起です。
しかし、平成から令和の、
御代(みよ)を迎えるあたり、
奉祝事業として神徳神社が、
令和元年に建立されました。
神徳神社の御利益がありますように。
狭野神社に参拝してきました。
神武天皇を祀る神社は、
スピリチュアルな風が流れていました。
また霧島六権現社の、
神仏習合の名残も魅力でした。
では次の霧島六権現巡り、
霧島嶺神社に行こう思います。
狭野神社
宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田117
電話 0984-42-1007
駐車場 有
ツイート
スポンサーリンク
鹿児島のまち歩き
鹿児島市のまち案内と観光ガイド
鹿児島の歩き方
鹿児島県内の観光ガイド情報です。
かごしまの路面電車
鹿児島市の路面電車の情報です。